映画「タゴール・ソングス Tagore Songs」と個人的タゴールソングの思い出

ずっと楽しみにしていた映画、「タゴール・ソングス」を観てきました。
このドキュメンタリー映画、素敵さが詰まっていて、わたしの個人的思い出&感想を書くことすら、その素敵さを薄めてしまいそうな気がしちゃう。
なので、これは読まずにとにかく映画を観て欲しい!ってのが本音です。
映画『タゴール・ソングス』オフィシャルサイト

バングラデシュ在住時にコルカタへ遊びに行ったとき、現地のインド人に「バングラデシュは素敵なタゴールソング歌手がたくさんいるよね!」と言われたんだけど、そのころ、実はタゴールソングが好きじゃなかった…
テレビで流れてたり録音されているタゴールソングって、歌にエコーがかかっていて伴奏はキーボードとかで全体的にぽややーんとした耳障りの音楽で、それが苦手で。
でも、「素敵なタゴールソング歌手がたくさんいるよね!」と言われたことで単純な私は「バングラデシュを褒められた!」という気になり、そこから少しタゴールソングに興味を持つようになったんでした。

そして、なんとなくタゴールソングは聴くようになって、好きな歌も出てきて(「Tomar holo shuru, aamar holo saara」)、タゴールソングが好きな日本人女性にCD貸してもらってレズワナ・チョウドリ・ボンナさんの話を聞いたりして。
でも、ぽややーんとしてるなあ、っていう感想はあまり変わらなかったんでした。苦手ではなくなったけど。

ある時、タゴールの詩集『ギーターンジャリ』を読んでみて、1つの詩に衝撃を受けたんだけど、それがこの映画でも繰り返し出てくる「一人で進め」(Ekla Chalo Re)でした。それまで「タゴールソングはぽややーんとしてるし、タゴールの詩は描写がすごく美しいけど甘すぎる」なんて思ってたのが、「一人で進め」を読んでその突き放すような内容に驚いて。「茨の道を 血にまみれた足で踏みしめて進め」って、すごいでしょ。
それから、自分の人生でちょっとしんどい時、思い出すのはこの「一人で進め」でした。

そして、その後の何度かの引越しで『ギーターンジャリ』の本もどこかへ行ってしまい、PCに大量に入っているタゴールソングも聴くこともなく、今に至ったのだけど、『タゴール・ソングス』という映画が公開されることを知って、歌を愛するベンガル人たちをスクリーンで観たいし、タゴールソング自体とはまだ打ち解けた気がしてないけど私の好きなベンガル文化の一部だしと半ば義務感のような感じで映画を観に行ったのでした。

ぽややーんとしてたのは実は私じゃん、と気づいたのは映画の冒頭でした。
「一人で進め」という詩がタゴールソングとして歌われていることを今まで知らなかった!
「一人で進め、なんてちょっと尖った詩を好きな人なんて私ぐらいじゃない?」なんて思ってたのが、「えー、この詩、みんな好きなの?歌っちゃうの?えー、そんな皆がわたしも好き!この映画、好き!」となってしまい、半分にやけながら映画を観る、という、とてもおかしな状態になったんでした。
バカでしょ、わたし。

バングラデシュ在住時に少し関わらせてもらったNGOエクマットラの代表シュボとエクマットラで育った青年も出てきてさらに感激してしまったり、コルカタとバングラデシュの町と田舎の景色も久しぶりに見れて、すごく楽しい時間だった。

この映画「タゴール・ソングス」が素敵だなって思う理由は、もっともっと山ほどあるんだけど、それは実際に観てくださいな。
歌が生き生きと人の心にある、っていいよね。

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