今日は、全て愚痴です。
読まないこと推奨。
インドに引っ越すにあたり、目標を立ててました。
「誰とも怒鳴りあいの口論をしない」
これは、バングラデシュ3年間の滞在の反省からです。
バングラデシュでは日本の常識が通じなくて、ちゃんと主張しないと自分の意思が伝わらない、ってことから、私ときどき片言ベンガル語でバングラデシュ人と「怒鳴りあいの口論」してました。
例えば、
リキシャと値段交渉してから乗ったのに、降りる時になって「今日は渋滞してたから」だの「雨だから」だので多く払うように要求されたとき。
とか、
お店で物を買うときに、あきらかに高い値段を言われたとき。
でも、真顔できちんと物事を伝えて交渉する、ってのはバングラ人誰もがやっていることで、普通に生活する手段でもありました。
が、海外青年協力隊のとある日本人女性と話していたら、
「バングラに2年間住んでいて、誰とも言い争いしていません。」と。
その方は本当にゆったりしている人で、言っている事は本当なんだと思いました。
そして、同じ頃、日本から来た日本人から私の値段交渉の姿が「怒ってるみたい」と言われ、私、非常に落ち込んだ。
まあ、そんなこんなでバングラ生活が終わってしまって、心残りが「私、必要以上に怒鳴りあいの口論(に見えるもの)をしてたんじゃないか。」ということでした。
だから、次に海外へ引っ越す事になったら、現地のやり方が「怒鳴りあいの口論(に見えるもの)」でも、私はそれをしないでおこう、と思ってたのでした。
もう現地に溶け込むこともせず日本人として暮らしてしまおうと。
そして、インドに来て。
バンガロールのインド人は海外経験のある人が多いからか、お店に入れば笑顔で「ハロー」と店員が声をかけてくれて、「Thank you」「Sorry」とかも普通に耳にする。
そして、何でもお店で値段がついたものを買えて、値段交渉が必要なのはリキシャぐらいだけど、メーターでだいたい行ってくれるし、乗る前に「メーター+10RS」とかはっきり交渉しておけば降りるときにさらに要求されることは、ほとんどない。
だから、「誰とも怒鳴りあいの口論をしない」の目標は自然に達成できていたのだけど、
それを破る事になっちゃって、意気消沈なのです。
日本で生活している知人にこの状況と問題を理解してもらうのはなかなか難しいけど、うちにはドライバーがいて、私が外出する半分はそのドライバーが運転する車です。(ドライバーがいてお気楽な生活だな、と思われるんだろうな。)
そして、そのドライバーと口論になったのが、今日で3回目。
内容は書かないけれど、彼が「正しい」と主張して、私は「間違っている」と説得するけど、全く伝わらず、結果、「怒鳴りあいの口論」になる、と。
ドライバーはそもそも運転やら雑用やら言われた事をするのが仕事でそれでお金を貰っているのだから雇い主に反発するのはおかしい・・・とそもそもの話は単純だし、私が若く見える女だから下に見られてて言いたい放題文句を言われてるというのが事実なんだけど、それは置いておいて、
人を上手く使うのも大人のたしなみだと思っているから単にそれができないのが悔しいし、初めに掲げた目標を半年で破っちゃって激しく落胆してる、っつー話でした。
まあ、自分に対して落ち込んでいるときは、自分の理想から外れてるからで、それって一種ナルシスト的なとこがあるから、現実を受け入れて前へ進みます。うん。
※追記
「人を使う」という表現についてご指摘いただきました。「人に気分良く働いてもらう」ってつもりで書いたけど、ここが日本ならそもそも「使う」って単語は書かないなあ。ドライバーやメイドを「使う」という言い方が自然に出てきちゃうけど、それは改めた方がいい、と思いました。「使用人」という言葉は好きじゃないのに、無意識に染み付いていたみたい。反省。指摘してくれたYさん、ありがとうございます。
※追記2
読み返すと、書き方がやっぱり傲慢な雇い主みたいだな、私。
くだらない話なんだけど、内容書いておきます。
ドライバーとの口論の発端は「昨日眠れなくて今眠いし疲れてるから今日は働きたくない」という発言でした。「寝る時間は十分にあるのにそれを自分で管理できないのは駄目です。」というのを説明したらそこから口論になった、という。どちらも自分の常識で物を言ってるから話は平行線で、その他にもいろんな背景があって、それを全部ひっくるめて、ちゃんと穏やかに話し合って分かり合うことができなくて意気消沈だったのでした。
そして、それも含め、結局今日の日記は愚痴です。にゃにゃ。