インドで“ゼロ”ルピー紙幣が発行される:デジタルマガジンという記事を読みました。
このゼロルピー紙幣は賄賂を請求された時、「賄賂は払わない」という意思を示すために代わりに出すように慈善団体によって作られた偽札とのことです。
まあ、実際に使うため、というより問題提起の話題作りなのかなーって思います。
インド・バングラのガチ賄賂話は、書くとどっと疲れるので、もっと軽く、「出す必要の無い場所で要求されたチップ」の比較を書くことにします。
(少しだけ書くと、ガチ賄賂は、例えば役所で「あなたの書類を作成するのに通常よりも時間がかかったので手数料をください」的に要求されるもので、断ると単にその書類がもらえない。そして、払えば書類がもらえるけど、もちろんその手数料の領収書はもらえない。手数料は係りの人のポケットへ。)
ちょいと嫌なチップ要求の話 : インド・リシケシのお寺
インドのヒンドゥー寺院では、日本のお賽銭感覚でお金を置くお盆があったりします。
で、私はお寺へ行くときはお賽銭を出すようにしてるのだけど、リシケシのお寺では、きーっ、となったのでした。
お寺の神様の像の脇。聖職者のおじさんがお盆を持って、お祈りに来た人のお賽銭を受け取っています。
私も列に並んで、自分の番が来たときに、お盆に10ルピー札を置きました。すると、すぐに
聖職者「NO! 少ない!100ルピー置きなさい!(怒鳴る)」
私「?」
他のインドのお寺でも、このお寺で列に並んでるときに前の人たちを観察してたときも、インド人も外国人も、1ルピー硬貨を出す人、10ルピー札を出す人、何も出さない人は見たけれど、100ルピー札を出す人はいませんでした。もちろん、私が見てないときに出してる人もいると思うんだけど、インドの物価はルピーにゼロを一個足すと日本の物価になるから、100ルピーというのは日本のお賽銭で1000円出す、って感覚かな。でもインドでもお賽銭の額に決まりは無いわけで、10ルピー(日本物価だと100円)のお賽銭を非難されるのは違う!そして、なぜ私だけに言うんだ!
私「どうしてですか?この神様の像の前でどうして私に100ルピーを出せと怒鳴るんですか?あなたは聖職者じゃないんですか?私はとても悲しいです。」
聖職者「・・・(無言)」
後ろにもたくさんの人が並んでいたから、それだけ言って、脇へどきました。
しかし、理不尽に怒鳴られて、私の極小の心は怒りで煮えくり返っていたので、横からずっと聖職者を10分間ぐらい睨み続けました。(←冷静になって思い出すと、なんて恥ずかしい行為。。)
私の後のお参りの人々(インド人・外国人)は、やっぱりお賽銭を出さないか1ルピーコインだけ出す人がほとんどでしたが、聖職者は私にしたような100ルピーの要求はしていませんでした。
しばらくして人の列がとぎれると、聖職者はそのうちモジモジし始めて、私を手招きました。
聖職者「こっちへ来なさい。この紐を手首に結んであげよう。・・・無料だから。」
紐は、祝福を示すものです。しかし、極小ハートの私、
私「NO!」
と断ってその場を後にしたのでした。
なんだか、私の心がいかに狭いか、という事を公にしただけになってしまった。。でも、すごい勢いで怒鳴られたんだもん。。
この後、別のお寺で偉い人の説法があって、「人間、怒るときは自分の気持ちを裏切られた時なんだよ。それを分かっておくと、無駄に怒らなくてすむよ。」と言っていて、ああ「聖職者=(私が思い描くような)善人」と思い込んでた私がそもそもの原因だなあ、とすごく納得したんでした。なんか分からないけど、たまたま私に100ルピーが要求したくなっちゃったんでしょう。ここインドでは自分の常識だけで行動すると疲れるだけだった。うん。
インド・バングラデシュのチップ要求話はまだ次へ続きます。
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